とある無職の世界一周

世界一周のこととか。

15歳ん時の僕

ウクライナ*リヴィウ      雨。

暇です。
外は雨降ってるので、大人しく4日前のパン食べてもう一回寝ようと思ったら
全てのパンにカビ生えてたので
潔くゴミ箱に叩き付けて僕の1日は始りました。


そしてこのまま何の生産性もないまま終わっていく気しかしません。
セツナイ!


10人部屋のドミトリーに泊まってるんですけど
宿泊客は僕だけなので新しい曲を作ろうと思い立ち、
軽く弾いたんですけど、隣りの部屋から"ドン! ドン!"と壁を叩く音がしたので
楽器を片して、そっとベッドに戻りました。


たぶん今日はこれぐらいです。
壁叩かれた時がピークで、後は右肩下がりに1日が終わると予知します。
セツナイ!


まあ時間持て余してるのでちょっと僕の昔話とかしていいですか?
旅とか一切関係ない僕の昔話。



          • 15歳ん時の話。

中学を卒業して高校に進学しなかった僕は
とりあえず1つ歳上の先輩の紹介で"型枠大工"という職種に就いたのです。
あ、型枠大工ってゆうのは簡単に言うとコンクリートで建物を作る的な大工さんね。


正直どんな仕事でもバイトでも良かったんですが
仮にコンビニとかで働いて同級生が高校の制服着ておにぎり(シーチキンマヨネーズ)とか
買いに来たら、
"やっぱ高校行っとけば良かったかな?"
"僕もシーマヨ食いてえな。"
って揺らいじゃいそうだったので、
ほぼ100パー会う事の無い現場仕事を選びました。


大工の仕事は僕が想像してたより大変だし
僕を紹介した先輩とか3日1回は腹痛で仕事休むので、
30〜40歳の元不良丸分かりのおっさん達と仕事してました。


怒ったらすごい怖いんですけど、普段は優しいのが職人です。
ただ沸点の低さは中学生ぐらいなのも職人なので
日々怒られて、その度に、
"いつか殴る。20歳になったら正面から殴る。今は体力に差がありすぎるから無理。"
って思ってました。


まあ今思えば仕事できない僕に怒りながらも教えてくれてたので感謝なのですが
15歳の青すぎる僕はまじで
"いつか殴る。今は耐えろ!"って考えながら仕事してました。


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その頃の僕。

これは怒られてもしょうがないですね。


仕事が終わったら毎日津田とピザポテト食べながら仕事の愚痴を吐いてました。
あ、津田ってのは僕の友達で、このブログでも極稀に登場します。
カンボジアでロケットランチャー撃ってお金全部使いきる様な男です。


津田は高校に進学したんですが
高校の入学式に退学届を提出するという意味不明っぷりをカマして
不名誉な伝説だけ残し5時間ちょいで高校生活に幕を閉じました。


ある日。
僕と津田はママチャリに股がりました。
夜10時とかに意味も無く。
明日も仕事でしたが、あの時の僕たちを"明日仕事あるから寝よ"という理由で御すことは出来ず、
2台のママチャリは颯爽と田舎道を走りました。
1時間かけて近くの山まで行き、
更に2時間かけて山の頂上まで登る。


もう登る時とかママチャリ引きずってた。
心拍数も半端じゃなかったと思う。
津田の顔もやばかった。
プールで溺れた人みたいな顔になってたのを覚えてる。
たぶん僕も同じ顔してた。


しかし僕たちに"撤退"の二文字はなかった為、意地で上りきりました。


山の上から見える僕たちの街はほんとにど田舎で
明かりもまばらにしかない。
でもなんか、やってやった感で自己満足に浸るにはちょうどいい明かりでした。
苦みも雑味も分からないくせに
コンビニで買っておいたBOSSブラックを飲みながら
超高速で山を降りた。


2時間かかって登ったのに
帰りは7分とかで最高に虚しかった。
まあ割と楽しかったんですけどね。


そして15歳の僕は思ったわけです。
"これって人生に似てるのかなあ?"と。
一生懸命時間かけて折り返し地点まで行って、
そこから先は凄い速さで虚しさと一緒に終わって行く。
ただ、総じてみれば楽しい。


"うん。明日からも頑張ろう"と思ったわけです。


とか思いつつ。
次の日僕は寝坊で仕事を休んでしまい、先輩も休んでいたので
二人で社長の知り合いのマジもんのヤクザ3人に呼び出され
正座させられて3時間程怒られました。


先輩は前日も休んで、床屋でパンチパーマにしてたらしく


"ヤ、ヤヤヤヤクザに見せられる髪型じゃねええええ…"


とか言って、
仕事で使う"安全第一"と書かれたヘルメットを被って怒られていました。
当然突っ込まれてましたが。
"おい。ヘルメ外せ。"って。


"で、ででで出来ません!!"って先輩が言い放った時は
死ぬ程笑いそうでした。
いや、笑ったらそれこそ死ぬので耐えたけどね。


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お終い。