大晦日。コルカタからバラナシ
起きると山田さんの姿がなかった。
だが、部屋に漂うカレーの残り香が山田さんという存在が幻ではないことを物語っていた。
とりあえず津田を起こしてチャイを飲みに行きました。
彼が津田です。
かなりどうでもいい話なんですけど
津田は同志社に通う大学生兼"ホワイティーホワイティー"というギャングの幹部も勤めています。
"ホワイティーホワイティー"は総勢2名からなるカラーギャングらしく、
主な活動内容は人ん家にアポなしで上がり込み、みんなのゴルフ4をすることです。
チャイ飲んで宿に戻ると山田さんも戻ってきました。
戻ってこなくていいのに…
ホテルにバレちゃうだろ…
僕と津田は夜にはバラナシ行きの列車に乗る予定だったので
山田さんにどうにか自立してもらわなければいけなかった。
とりあえず近くの宿まで案内して、チェックインしてる間に
"チャイ飲んできますね!"と言い残し撒いた。
あの時はほんとすみません山田さん。
急いでたんですよ。
この日は12月31日で大晦日。
元旦をバラナシで過ごしたかった僕らに山田さんは荷が重すぎました。
今度会ったらお詫びに芋けんぴおごるんで許してください。
華麗に山田さんを置き去りにした僕らは多少の罪悪感を感じつつ散歩しました。
僕がコルカタで唯一知っていた場所、
"マザーハウス"まで行って来ました。
通称"死を待つ家"と言われていてマザーテレサが建立したらしいですね。
病気や貧困になってる人の最期を看取る施設で、
日本人もたくさんボランティアしてるみたいです。
僕たちはボランティアどころか献血もしたことがないほどの白ゴキブリなので見学だけさせてもらって帰りました。
山田さんに神のご加護があるようにアーメンしときました。
あ、僕の楽器が一つ増えたので報告しておきます。
これは"アサラト"という楽器で、なんか楽しいです。
津田が日本で買って持ってきてくれました。
その後も夕方まで色々してたんですけど
もう完全に忘れちゃったんで飛ばします。
バラナシ行きの列車に乗ったのが16時30分ぐらいでした
日本とインドの時差がちょうど3時間30分なので
僕たちがインド人の四面楚歌で苦しんでる瞬間、日本に居る方々は
紅白見たり、そば食ったり、大人はピロートークしてたりしなかったりだったんでしょう。
そう考えると"俺なんでこんなことしてんだろう?"と泣きたくなります。
全然関係ないけど、僕の夢の一つに年末ジャンボに当選して
バスタブ一杯の1万円札に全裸で浸かってる写真をfacebookのカバー写真にすることがあります。
今年も無理した。
津田の夜食。
20年ぐらい友人だけど、ご飯食べてる顔やばいことに気付いた。
インド時間で11時になった頃、車内の電気が一斉に消えました。
"お、何か始まるのかな?"と思って待ってたら
みんな寝てました。
なんか寂しいとか超越しながら、漆黒すぎる車内で2013年を迎えました。
今年もよろしくお願いします!